鼓動が止まるその日まで

自堕落に断捨離してダイエットしている。

病気が再発するまで考え続ける

捨てられないんじゃない、基準の問題

溜め込む系汚部屋を作った人間として、言わせてもらえれば

沢山モノがありすぎて把握できないなら、無いのも同じ
いつか使うはこない

なんて、嘘です。
記憶力が低下してきた今はともかく、若い時なら完璧に把握していました。
何年に一度の使用でも把握しているから発掘できるし、快感とともに
「ほら、やっぱりとって置いて良かった」
なんて、思っていました。

実際、断捨離後に捨ててしまったモノが必要になったことは(既に)あります。

それでも、溜め込むのを止めることにしたのは、今を大事に生きるため。
今のスッキリの為に、に未来のちょっと不便な可能性を許容した…そういう事です。

私は煩わしい事が大嫌いで、田舎を出て友人と連絡すらせず、好き勝手に生きています。
なのに、こんな煩わしい事を今まで許容してきたことがおかしい!今ならそう思います。

面倒くさいから捨てる。これですよ。

ゴミ捨ては基本できます(当たり前)。
なのに床にモノが積んであって、服の置き場がいくつもある状態だったのは

出したらしまう習慣がない
ものぐさで一時置きをして、そのまま
モノの定位置を作れない
見えない場所のモノを使わない

からでした。
正直、片付けながら

定位置なんて、作れない
見えないと不便
毎回戻すとか面倒すぎて無理、今さら無理

と挫けそうでした。
きちんとしている自分なんて、想像できない!
自堕落じゃないなら私じゃない、
アイデンティティーの問題だ、位の感覚で。

しかし、人は惰性という素敵な特性を持っているので意外と大丈夫でした。
最近では習慣化とかキレイ事でいうらしいですよ~。

なので、捨てて少なくしてしまえばなんとかなるものだ、そういう事なんです。